ラス・リラス便り

第 15 号

平成17125

アルゼンチン国コルドバ州ビジャマリア市

須郷 隆雄

 

 急に夏めいて来た。噴水が涼しげに見える。ノースリーブ、半袖が増えてきた。私も負けず半袖で出かける。

 しかしラス・リラスは相変わらず黒の長袖に黒の短めのズボン、それに黒の前掛けだ。金髪が注文をとりにくる。いつものコルタードの他にメディアルナとアグア・コン・ガス(炭酸入り水)を注文する。「アグアは女性名詞か」と質問するが、その主旨がつかめないようだ。「ラ・アグアか、エル・アグアか」と聞くと「エル・アグアだ」という。「じゃあ男性名詞だね」というと「いや女性名詞だ」という。「ポルケ(なぜ)」といっても要領を得ない。後で辞書を引くと「女性名詞、ただしエルを使う」とある。ウェイトレスのいうことに間違いはなかった。この一件で私に関心を持ったようだ。顔が合うたびに笑顔で応える。このアグアの金髪、私のメモを見て「素敵な字ね」と。「日本語」と応えるとニコッとして返っていった。漢字に関心のある子は多いようだ。

 帰国を間近に控え、送別会が何回あっただろうかと思いをめぐらせていた。

 10回ほどあったような気がする。最初は9月中旬。アルタ・グラシアの高校教師からだ。旅行で知り合い、その後1度招待を受けた英語教師3人組のところだ。メールで「是非送別会をやりたい」と連絡があった。しかも「てんぷらを作りたい」とのことであったので、食材の手配を連絡する。当日、ワインと当校自家製のチーズと大使館から頂いた日本紹介の本を持参し、伺った。3人とも独身であるが、一番若い教師のノビオの自宅で行うことになった。食材は準備万端。しかし作るのは私、食べるのは彼女たち。日本の食談議をしながらの2時間であった。てんぷらは好評だった。アルゼンチンでも日本食に対する関心は高まっている。東洋の食べ物という興味だけではなく、健康食として再認識されているようだ。それにしても、旅で偶然会った仲間に送別会の招待に預かるとは。ありがたい話である。

 フォルクローレの仲間たちからは3回あった。1回目は市民クラブでのアサードだ。宴たけなわの頃、一同からガウチョのベルトをプレゼントされた。フォルクローレでも使うチャンピオンベルトのようなものだ。真ん中にアルゼンチン政府のマークとイニシャルのT・Sが彫られている。彼らは、ただ買ったものを手渡すということはしない。必ず、心を込めた手作りの部分が入る。有難いことだ。お返しに用意した写真に1人1人の名前を書き、「TAKAO」のサインを添えて渡した。ノートに寄せ書きも書いてもらった。帰りがけ、いつも良く一緒に踊った女性から、そっと額入り写真を手渡された。「お幸せに。いつもあなたを思い出すでしょう、愛を込めて。ラケル」と書き添えられていた。

 2回目は学校のホールである。アルゼンチン最後の練習日だ。女性は一様に民族衣装で正装し、我々男性もガウチョスタイルで正装しての登場だ。私のためにわざわざ用意してくれたのだ。頂いたチャンピオンベルトをつけて。記念撮影。そしてお別れのバイレ(ダンス)である。彼らの計らいに涙が出るほどだった。

 最後は、以前同様に手作りのアルバムをくれたルイス宅でのイタリア家庭料理だ。パスタとチーズ、それにイタリアワイン、なかなか心がこもっている。またしてもガウチョのズボンをプレゼント。「合うかどうか履いてみろ」と無理やり履かされる。若干長めだがピッタリ。また皆のさらし者だ。今日は彼らが寄せ書きカードを用意して、メッセージを書いてくれた。翌日、ルイスが奥さん手作りのポシェーラ(フォルクローレ用スカート)を学校まで持ってきてくれた。以前「ポシェーラが欲しい」といったことがある。それを忘れていなかったのだ。義理と人情は日本人の得意とするところだが、この義理堅さに思わず男同士抱き合って礼をした。フォルクローレ、たった半年のお付き合いではあったが、よき友を得たような気がする。「有難う仲間たち。決して忘れないよ」と心の中でつぶやいた。


  

     民族衣装(フォルクローレ)         フェルナンダ家族

 「オー、アミーゴ、オゲンキデスカ。イチバン」と言って迎えてくれる台湾人家族にも招待を受けた。朝から手打ちのそばを用意してくれた。当日は雨で、傘をさして自転車で向かう途中、転んで傘はバラバラ、手土産に用意した鉢植えもバラバラ、惨めな格好で訪問。団子三兄弟がいつものように飛びついてきた。初めて奥の部屋を見せてもらう。そこはもはやアルゼンチンではない。台湾の生活そのものだ。これほどまでに頑なに自国の文化を守っていることに驚きを覚えた。日系人にこのような姿を見たことがない。彼らは決して同化しない。良い悪いは別にして、国民性の違いを感じた次第。マーボ豆腐、餃子それにラーメン、いつもと違いおいしかった。

 日本語を教えている学生宅にも招待を受けた。コルドバ大学で演劇を勉強しているフェルナンダだ。父親は医者で、母親は旅行代理店を経営している。弟はスペインでギタリストだそうだ。母親とは以前会ったことがあるが、父親とは初対面である。ちょっと緊張して、ちょっと高級なワインを2本持って訪問。アサードの準備中だ。焼きながら、しかも父親が一つずつ説明しながら取ってくれる。フェルナンダは私を気遣い、飲み物をあれやこれや持ってくる。なかなかいい家族だ。庭には小さいながらもプールがある。そのそばで父親とマテ茶を飲みながら歓談。娘が「日本に交換留学生として行きたい」と言っていることも話された。是非来て欲しいものだ。

 今度はこちらからお礼のために招待した。旅行代理店でお世話になった女性とアパートの大家のホテルマンだ。この二人、同級生だそうだ。当市で一番のレストランに招待する。彼女は自転車盗難事件のとき、夜10時まで店を閉めて警察と交渉してくれた人だ。以後全て、旅行等の手配をお願いしている。かなり太っているが、いつも行くと「オラ、タカオ」といって、とても面倒見のいい二児の母親だ。ホテルマンは典型的なアルゼンチン人。言ってもなかなかやらない。23度確認しないと信用が置けない。しかし簡単にできることは一生懸命やる。とにかく調子が良くて、親切で、陽気で、憎めないやつだ。

 帰国間際には、コルドバの日本人会の送別会だ。中国系レストランの一角を借り切っての盛大なものだった。スペイン語を習った家族の母親から、自作の「ボラーチョの木」の絵を贈呈された。ボラーチョとは、「酔っ払い」を意味するが、幹が徳利のような形をしているのでそのように呼ぶのかと思いきや、枝振りがしっちゃかめっちゃか、まるで酔っ払いのようなのでその名がついたとのこと。そういえばアルゼンチンには徳利はない。アルゼンチン特有の木だ。私を見てその木を書く気になったのであろうか。日本人学校の元校長先生から秘蔵のタンゴCD、日本人会会長からフォルクローレのCD2枚を頂いた。心温まる贈り物だ。

 最後は派遣先、学校の送別会だ。英語教師で、スペイン語を2年間教えてくれたマリサ宅で開催された。とても美人で、やさしく、アルゼンチンでは珍しく気配りの利く、誰からも愛された女性だ。「亭主持ちでなければ」という声が皆から聞こえた。旦那も当校の教師だ。何から何までよく面倒を見ていただいた。感謝である。またもやイタリア家庭料理だ。昨夜から亭主が頑張ったそうだ。さらに大きなケーキ。アルゼンチンと日本の国旗があしらってある。ケーキへ入刀。盛大な拍手。そして歌である。胸がいっぱいになった。そして手作りのアルバムだ。「TAKAO SUGO」「ESIL」「ARGENTINA」と彫ってある。皆の心遣いに心からお礼を申し上げたい。すかさず「一言ご挨拶」との声がかかる。

「オラ ア トードス」

(やあ皆さん)

「グラシアス ポル フンタールセ オイ パラ ミ デスペディーダ」

(今日、私の送別会にお集まり頂き有難うございます)

「エストイ ムイ コンテント デ コノセールロス イ メ ディベルティ ムチョ コン ウステデス」

(あなた方と出会い、楽しく過ごせたことを大変うれしく思います)

「エン エストス 2 アニョス アプレンディ ア ケレール アルヘンティーナ ポルエソ メ エンカンタ アルヘンティーナ」

(この2年間、色々なことを学び、アルゼンチンが大好きになりました)

「ノ キエロ レグレサール ア ハアポン ペロ テンゴケ レグレサール ポル ミ ファミリア」

(日本にまだ帰りたくありません。しかし家族のために帰らねばなりません)

「シィン ファルタ アルグン ディア ボルベーレ イ キエロ エンコントュラールロス オトュラ ベス」

(必ずいつか戻ってきて、もう一度皆さんにお会いしたいと思います)

「タンビエン ロス エスペーロ エン ハポン」

(また、皆さんを日本でお待ちしております)

「シエンプレ ペンサーレ エン ウステデス イ エン アルヘンティーナ」

(あなた方のこと、アルゼンチンのことを一時も忘れません)

「ムーチャス グラシアス ポル トード」

(色々、本当にありがとうございました)

挨拶していて、感極まってしまった。やんやの拍手であった。

本当に楽しい2年間であった。生涯忘れることのできない思い出である。

「有難うアルゼンチン、有難うアミーゴたち」の思いでいっぱいだ。

  

     両国国旗をあしらったケーキ             すき焼き

1025日、お世話になったビジャマリアを後にした。

以前から本物の日本食を食べたいといっていた日本語学生のフェルナンダがブエノス・アイレスで待ち受けていた。昼食、まずは寿司と刺身とてんぷらをご馳走する。箸の使い方も大分上手になった。ワサビも醤油も大丈夫だという。とにかく日本のものにはなんでも興味のある子だ。夜はすき焼きを食べさせることにした。琴の響きのちょっと高級感のあるすき焼き屋だ。さて生卵が食べられるかどうかだ。「大丈夫」と一向に気にしない。何でも関心を持ち、何にでも挑戦する好奇心お旺盛な子だ。彼女は今、演劇、アナウンサーの勉強、太極拳も習っている。暇なときは母親の旅行代理店の手伝いもする。とても行動的で、「大変、大変」と言いながら、太目の体をユッサユッサと駆けずり回っている。満足したようだ。寿司、刺身、てんぷらそれにすき焼きと、日本を代表する食事は一応食べさせた。入り口に鎧兜が飾ってあった。それを見て「タカオ、タカオ」と言って、はしゃいでいた。駅まで送る。別れ際、強く抱きしめ「日本で待っている」と言うと、「早く帰ってきて」という言葉を残し、夜行バスに駆け込んで行った。ブエノス・アイレスの夜空を見上げ、明日は帰国、アルゼンチン最後の夜と思うと何故か一抹の寂しさを感じた。



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