ビジャマリア情報37

2005.12.25

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 午後3時、ローマ・テルミニ駅に到着。旅行会社が一番前で待っている。完璧な出迎えである。ヴェネチアの一件で、苦情を電話しておいたのが効いたようだ。

 いきなりローマ帝国にタイムスリップしたような感じだ。建物は全て石造り、町自体が博物館だ。現代と中世をうまく調和させているが、機能的ではなさそうだ。首都の移転か、その機能を周辺に移す必要性を感じた。

 ホテルのポーター中国人、やけに愛想がいい。フロントに聞くとこのホテル、経営者は中国人だそうだ。奥に小さく「帝苑酒店」と書いてある。お腹がすいた。腹ごしらえに近くのレストランに行く。日本語の説明書があるが、一向に意味が解らない。ここも中国系のようだ。アルゼンチンを出てから暫く肉を食べていない。アサードが恋しくなった。ステーキを注文する。まずい。やはり肉はアサードに限る。ジェラードとカプチーノを注文する。アイスクリームをイタリア語で「ジェラード」という。ジェラードが特別なアイスクリームでもなんでもない。スペイン語では「エラード」だ。何もかもおいしくなかった。店の選定を誤ったのかもしれない。

  

ナボーナ広場             ヴァチカン宮殿

 翌日、ローマ市内ツアーに出かける。いい天気だ。昨日とは打って変わって暖かい。肉感的なガイドが迎えに来る。スペイン語で話しかけるが理解できないようだ。うちの教師のマリアーナに似たなかなかの美人だ。バスに乗ると他にガイドが3人いる。それぞれに英語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ドイツ語を話す。すごい。

 2000年以上の歴史を持つローマはティベレ川の両岸に広がる、言うまでもなく歴史と史跡の街だ。半径2キロの小さな町にトレビの泉やコロッセオ、ヴァチカンなど魅力あふれる名所がいっぱいである。まずはトレビの泉だ。

 「コインを後ろ向きに投げるとまたローマに戻れる」というトレビの泉。意外と小さな広場だ。知らないで来たら通り過ぎてしまいそうだ。しかし、バロック噴水の傑作である。「湧き水か」と聞くと、「循環している」とのことであった。コインを投げ込むのを忘れた。もはやローマには戻れないだろう。

 暫く歩くとパンテオン宮殿だ。ガイドに聞くと「23分で着きます」という答えだった。多少の日本語を話す。オリンポスの神を祭るために、バトリアヌス帝が125年にアグリッパに造らせたローマ時代の傑作だそうだ。天井が円形に開いている。太陽が差し込み、雨も降る。未完成かと思いきや、そうではなさそうだ。さらに23分でナボーナ広場である。ローマで最も典型的なバロック様式の広場だそうだ。その昔はスタジアムで、戦車競技が行われていた。有名なカフェやジェラード屋が軒を並べている。しかし、見るだけで入らなかった。

 今度はバスで移動し、ヴァチカン宮殿へ。サンピエトロ大聖堂である。ローマカトリックの総本山だ。30万人は収容できるという大広場は人でごった返している。なんとローマ法王が説教の真最中である。世界各地の旗を掲げ、大勢の信者が集まっている。さらに賛美歌の大合唱だ。暫し敬虔な気持ちで聞き入る。

 午後は英語グループのツアーに入ってしまう。どうもアングロ・サクソン系は好きになれない。マリア・マギオレ教会、サンタ門とかに行く。カトリックの由緒ある場所のようだ。英語でのガイドの後、個別にスペイン語で説明してくれる。有難いことだが、解らないのに解った振りをするのも辛いものがある。

 古代ローマの地下墓地を意味するカタコンベへ行く。今はキリスト信者の礼拝堂、墓地などを指すようになっている。「全ての道はローマに通ずる」といわれたこれら旧街道沿いに、このようなカタコンベが点在している。しかし、このサンカリストのカタコンベは聖人ゆかりの地として有名で、多くの参拝者がある。地下の墓参りといった感じで、ちょっぴり陰鬱な気分になった。

 郊外にはやはり近代的なローマ、新しいローマがあった。照明に照らし出されたコロッセオを通過してホテルに戻った。帰りのバスの中、ガイドが私一人のために最初にスペイン語で説明し、その後で英語で説明。日本人の私にスペイン語で説明している。なんだか妙な雰囲気だった。

 夜は中華料理屋。ローマの最後の夜が中華料理とは。もはやこれしか口に合わない。餃子、エビ玉を肴に紹興酒でいっぱい。そして仕上げは海老ラーメン。おいしかった。可愛いチャイナ娘のもてなしがあったせいかもしれない。

 今日は帰国の日だ。ヴァチカン美術館をどうしても見ようと地下鉄に乗る。韓国人家族に道を聞かれる。すごい行列だ。韓国人家族とまた一緒になる。子供3人の若夫婦。日本にも来たことがあるとのこと。英語が堪能である。切符を用意してなかったので、何かと手助けになった。1時間並んで12ユーロ。世界屈指のこの美術館、古代エジプトから現代美術にいたるまでの彫刻、天井画、壁画など、ざっと見るだけで2時間はかかる。最後に「ミケランジェロの最後の審判」、キリストが善人・悪人を審判する模様が描かれている。三途の河原での閻魔大王の審判と同じだ。果たして「天国行きか地獄行きか」最後の審判は誰にもわからない。

 地下鉄を乗り継ぎ、スペイン広場へ。大勢の人が休んでいる。階段状のこの広場は休憩するにはよさそうだ。かつてスペイン大使館があったことからこの名がついたという。高級店が多そうだ。切符を買い、再び地下鉄に乗る。テルミニ駅での乗り換え時に、何気なくお尻に手をやる。ない。財布がない。スリだ。地下鉄にスリが多いとは聞いていたが、油断をした。50ユーロと100ドル、それに名刺。たいした被害ではなかったが、いいカモだったのだろう。それにしても全く気がつかなかった。スリさんのうまさに感服した。ボランティアの最後は、スリさんへのボランティア。あまり気の進まない奉仕であった。

 帰りの切符代を確認してコロッセオまで足を伸ばす。スリさんのおかげで、中には入れず外から見学する。紀元前に建てられたことに驚く。ルネッサンス時代に宮殿や寺院建築のために、この大理石が使われたことはいかにも残念だ。

  

ヴァチカン美術館             コロッセオ

 ホテルで100ドルを用意して、両替に行く途中、あの肉感美人ガイドとばったり出会う。「スゴーさん」と言うので、思わず両ほほにキッス。「今日、日本に帰る」と言うと、さらにおまけのキッス。100ドルのキッスだ。スリのことはもう忘れよう。もはや3時。腹が減ったのでスパゲティーを食べに行く。ウェイターいきなり「えび入りスパゲティー、とてもおいしい」と日本語で。ヴェネチアのお兄さんと同じだ。「ビール小さいの」と言うと「小さいサムライ」と返ってくる。「大阪?」と聞くので「いや千葉」と応えると「もうかりまっか。ぼちぼち」と大阪弁。ふざけたあんちゃんだ。だんだん気分も戻ってきた。大阪に友達がいるとのこと。「イタリア女性、みな美人」と言うと「ブスもいる」と。食べ終わると「ごちそうさま」と言って食器を片付ける。名前はコンスタンチノという。「日本とイタリアは友達。今日、日本に帰る。また会いましょう」と言って別れた。

 JALカウンターで搭乗手続き。アリタリアとの共同運航便だ。もはや日本である。案内された席が二階席。ビジネスクラスだ。ラッキーである。快適な12時間になりそうだ。午後845分、ローマ空港を後にする。アリベデルチ・イタリア。夕食は日本食、箸まで付いている。とにかくおいしい。お茶もある。乗客の大半が日本人だ。114日、30分早い日本時間午後5時半に成田に到着。足早に出国手続きを済ませ、家族の出迎えを受ける。「お父さん、なにそのひげ、いやだ〜」と妻。「でもお父さん似合うよ」と娘。「似合わない、似合わない」と追い討ちをかける妻。アルゼンチン式挨拶を予定していたのに、この1件で出来ずじまい。車の中で、妻が用意してくれたおにぎりを頬張る。娘はいつものようによく喋る。妻は言葉は少ないが、何となく嬉しそうだ。おにぎりを食べながら日本に着いた実感を味わっていた。安堵感とこれからどんな人生が待っているのか、何をすべきかという一抹の不安もあった。家に着くとすき焼きが用意されていた。家庭の温もりと家族の団欒を味わった。

 この時、まさか翌日、人生最大の大ピンチを迎えるとは夢にも思っていなかった。



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