ビジャマリア情報32

2005.9.15

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 ビジャマリアのバスターミナルで先住民家族にあった。混血系の何となく先住民の容貌をした人に会うことはあっても、純粋の先住民にこの町で会うのは初めてだ。夫婦とそのお母さんと子供2人の4人家族である。静かに、しかも慎ましく椅子に座っている。夫婦は何処となく、生活に疲れたという雰囲気を漂わせている。先住民とは対照的に、移民系は我が物顔に、傍若無人に振舞っている。この家族、バスに乗るのも一番後である。バスの中でも、賑やかなラテン系とは違い、終始静かだ。降りるのも、全員降りるのを待って、最後に降りた。

 この控えめさはいったい何なのだ。侵略した勝者と侵略された敗者に与えられた掟なのか。この家族の控えめな態度に心を痛めると同時に、我が物顔のラティーノにいささか苛立ちを覚えた。

    

   インディオの子供            インディオの祭り     

 アルゼンチンには先住民族が80200万人いると言われている。あくまでも推定で、正確な数字は分からないようだ。全体の5%以下ということだ。侵略当時、壊滅状態になるほど先住民を殺害したといわれている。先住民の割合が少ないのもその故である。先住民は生活環境の厳しい亜熱帯や山岳地帯に集中し、白人層に比べ貧困生活を余儀なくされている。これら先住民は社会の最底辺におかれ、土地は奪われ、自立した生計を立てる手段すらない。健康状態も一般国民に比べ劣悪で、結核と栄養不良の率が最も高いと言われている。先住民族は人口の割合が少ないため、政治的影響力が弱く、政府から殆ど遺棄された状態にある。

 アルゼンチンの民族を大別すると、先住民と移民系、それに混血系に分けられる。先住民は6つの語族から成り、更に16の部族に分けられる。北部のグアラニ族、南部のマプーチェ族が比較的知られている。移民系はスペイン、イタリアをはじめヨーロッパ系が殆どで、現地生まれの白人クリオージョやガウチョもこの仲間である。混血系はインディオとの混血を意味するものと思われる。1/4あるいは1/8インディオの血が入っているという人もいる。

 神代の国の歴史を持ち、単一民族である日本人には、なかなか理解できないことである。しかし終戦後、アメリカに支配された記憶を持つ我々世代は、未だに白人に対する劣等意識は拭い去れない。

 そんな思いをよそに、コルドバ市内ツアーと洒落込んでみた。

 イギリスの赤い2階建てのロンドンバスの屋根を取っ払ったトロッコ電車のような雰囲気のバスである。1時間半、15ペソだ。切符はバスのなかで買う。コルドバの中心、サン・マルティン広場から出発である。天気は上々、珍しく夏場を思わせるような天気だ。ガイドが乗り込んでくる。それぞれに出身国を聞く。突然、ウェディングドレスの花嫁さんが乗り込んでくる。花婿さんは見当たらない。変だと思っていると、どうも撮影のようだ。やけに美人だし、愛嬌がいい。私も写真を1枚撮らせてもらい、いざ出発。ガイド、流暢なスペイン語と英語で案内。何時も見ている町並みだが、視界が変わるとまるで別世界のようだ。

     

     オープンバスからコルドバ市内     サルミエント公園からコルドバ市内

 ブエノス・アイレスから700キロの所にあるコルドバは、海抜400メートルに位置し、スペイン人カブレラが1573年に創設したコロニアル風の美しい町である。人口100万人、アルゼンチン第2の都市だ。大聖堂、コルドバ大学、イエズス会私有地跡地などユネスコの世界遺産に指定された植民地時代からの建物が多く残っている。またコルドバ近郊には、森や湖に囲まれた美しい村が数多くあり、夏には一大避暑地としても賑わいを見せる。このコルドバ高原は南北500キロ、東西100キロ、最高標高は2980メートルにも及ぶ。コンドルを見かけることも珍しくない。

 夏の日差しのような夕日に顔を焼きながら、サン・マルティン広場に戻る。古本市が開かれている。大変な人出だ。人をかき分け,インディオの家族はどうしたかと思いながらサン・マルティン広場を後にした。


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