ビジャマリア情報25

 

2005.7.5.

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 今日は当校が主催する市民講座(エスクエラ・パラ・ファミリア)の第1期修了式である。この講座は46月を1期、79月を2期、1012月を3期とするもので、1期で終了するもの、2期で終了するもの、3期で終了するものとコースによって様々だ。これは、当校が市民を対象に開いている、いわばカルチャーセンターだ。

パンつくり、料理教室、パソコン、スポーツなど様々で、20ほどのコースがある。フォルクローレもそのひとつだ。

 私の習っているフォルクローレの仲間は12人で、初心者は私だけ。大半が40代以上で、私も40代で通っている。3期で終了だが、今日は発表会を兼ねている。皆意気込んで、衣装も揃えた。控え室に集まると、やや緊張の面持ちで、身支度、お化粧、さらにステップの練習やら余念が無い。地元新聞記者がやってくる。勢揃いで記念撮影。いよいよ楽屋に移動。開演時間も間近だ。

 開会。仕事仲間の学校新聞の記者が司会進行。私が出勤すると「タカオ、マテ。お〜寒い、寒い。」とオーバーなゼスチャーでマテ茶を入れてくれる女性だ。金髪、31歳、未だ独身。

 続いて、アルゼンチン国歌の演奏。何があっても、最初に国歌の演奏から始まるのがこの国のしきたりだ。とにかく長い。演奏があり、次に合唱。日本の国歌の10倍はある。それを皆、誇らしげに大声で歌っている。

 開会挨拶。何と同僚教師の悪友が出てくる。これまた何を喋っているのか解らないが、長い。国歌が長いためか、何をするにも長い。「君が代」を見習って欲しい。

 いよいよ我々の出番だ。パートナーから「タカオ、手を大きく上げて、ぶらぶらさせない。あごを上に上げ、私の目をしっかり見るの。好いね。そして笑顔」とアドバイス。なかなか手厳しい。笑顔どころか、顔が強張ってきた。先ほどのマテ茶のお姉さんが「タカオ、タカオ」と盛んに私を紹介している。

 音楽がかかり、舞台へ。緊張の一瞬だ。好調な滑り出し。最初は「ガト」という初級者用の踊りだ。続いて「チャカレーラ」という初級者上級の踊り。多少のステップの間違いはあるが、何とかこなしている。顔にも笑顔が戻ってくる。相手の動きも確認できる。アドバイスの言葉が頭に浮かぶ。観客の様子も見えてきた。もう大丈夫。後はリズムに乗って、思いっきり楽しむだけだ。会場から仲間たちが「タカオ、タカオ」の声援だ。無事終了。万雷の拍手。全員舞台の正面に整列し、男は左腰に手を当て、左足を前に出し、腰を引くようにお辞儀をする。女はスカートの端を持ち、同様にお辞儀する。洋画で時々見かける、あの挨拶の仕方だ。またもやマテ茶のお姉さんが盛んに私を宣伝する。思わず観客に手を振ってします。これはルール違反のようだ。しかし、大受けである。

 楽屋に戻る。安堵感から汗が吹き出てきた。開放感と満足感で互いに抱き合い、キッス、キッス、キッスである。喜びを言葉と態度で思いっきり表現する。感情を抑えることの出来ない国民のようだ。

       

    フォルクローレ発表会     フォルクローレ仲間と日本食パーティー

 「フォルクローレ」という言葉は、サイモンとガーファンクルが70年代にヒットさせた「コンドルは飛んでいく」で世界的に有名になったと聞く。ラテンアメリカ全体の民俗音楽を指し、いわゆる「民謡」とか「フォークソング」と言ったものだ。アルゼンチンのフォルクローレは大きく分けて3つある。1つはアンデス地方のケーナやチャランゴを使ったもので、フフイからボリビア、チリ北部のインディオたちの音楽。もう1つはギターとボンボを使用し、演奏とともに歌を聞かせるサルタ、ツクマンからコルドバに至るガウチョの音楽。それに3つ目はバイオリンやアコーディオンなどを使ったコリエンテス、エントレ・リオなど、メソポタミア地方といわれる地域で演奏されるドイツ民謡的な音楽に大別される。そして、その音楽にあわせて大抵は男女がペアになって踊る。踊り方は、「ガト」「チャカレーラ」「マランボ」など多肢に亘る。日本の民謡と違い、とにかくよく動く。健康のためにはよさそうだ。しかし残念なことにタンゴと同様、愛好者が高齢化している。

 その後、他のコースの人達の発表もあり、修了式へ移る。これがまた長い。20コース、10人ずつにしても200人。コース毎に全員が舞台に上がり、修了証と花束とキッスだ。「以上総代、誰々」という表彰の仕方はしない。常に「私が一番」の国なのだ。

 家に戻り、マテ茶で暫し休息。今日の踊りを頭で復習する。それにしても終了後の感情表現、喜びの表現の仕方は何とも凄まじい。カルチャーの違いを感じる。日本は「静の文化」、ここは「動の文化」というべきなのか。アルゼンチンの若者の中には、座禅や歌舞伎、武道など「静の文化」に関心を持つものも多い。アニメや北野武は若者の人気の的だ。

 1週間前、このフォルクローレ仲間とその家族20名を招待し、我が家で日本食パーティーを行った。海苔巻き寿司と天ぷらを半日がかりで準備した。5リッターのワインとエンパナーダ(西洋風餃子)3ダースをあわせて準備。海苔巻きの具は椎茸と昆布、シーフードとマヨネーズ和え、おかかと玉子焼きの3種類だ。しかし海苔が食べられない人が何人かいた。天ぷらはこちらの白身の魚、トルーチャ、ペヘレイそれにイカだ。後はなす、いも、かき揚げなどである。魚を心配したが、天ぷらは大好評、ひとつも残さなかった。とにかく料理の時から大勢集まり、「これは何だ」、「これはどう作るの」と口ばっかりで手は一向に動かない。喧しいばっかりだ。野菜洗い、食器並べ、私の助手と役割を分担して、漸く手が動き始めた。割り箸を出すと「これはどう使うのだ」、「何時もこれで食べているのか」と食事にならない。とにかく好奇心旺盛だ。併せて食欲も旺盛。割り箸の紙に日本語でサイン。スターになった気分だ。ひとしきり喋るだけ喋ると今度はギターを取り出し、歌だ。久々に日本の曲を3曲披露した。ケーナとオカリナとポンチョを出すと、さすがに弾けるものは無かった。そして踊り。隣は弁護士事務所なので問題は無いが、下はアパートだ。気にしつつも2時まで。帰り際に女性陣が、アルゼンチン風に大雑把に食器を洗い、片付けてくれた。ほったらかして帰るのかと思いきや、これにはちょっと感心した。

 フォルクローレを始めてから、アルゼンチンの生活習慣や行動パターン、人種というか民族性が身近に感じられるようになった。良きにしろ、悪しきにしろ、日本人とは行動パターンが大分違いということも分かった。

 異国に1年や2年生活しても、本当にその国を理解することは不可能だ。5年、10年と生活して初めて理解できるものではないかと思う。まだまだ触り程度しか理解していない。しかし、日々のインパクトが少しずつ私の内面を変えているような気もする。少しはラテン化したかなと思いつつ眠りについた。
             


           付録:エントレ・リオのカーニバル
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