ビジャマリア情報14

2004.11.5

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 今回は少しシリアスにアルゼンチンの歴史について報告します。
 ご承知のとおりアルゼンチンは殖民の国、移民の国であります。先住民の歴史はほとんど記録に留められておりません。スペインの探検家によって発見された16世紀以降がアルゼンチンの歴史といえます。
 スペイン、ポルトガルの探検家がアメリカ大陸を南進し始めたのは16世紀初頭からです。進出は3方向からなされたと言うことです。1つは東部海岸地帯からラ・プラタ川を遡るもの、もう1つは北西部のペルー、ボリビアを経由するもの、さらに西部のチリからアンデス山脈を越えるものです。
 1516年、カステーシャ王国の命を受けたファン・ディアス・デ・ソリスの率いる探検隊が、真水の海と言われるラ・プラタ川に初めて到達、1526年にセバスチャン・ガボットが、1536年にはペドロ・メンドーサが到達し、ラ・プラタ河口にサンタ・マリア・デ・ブエノスアイレスを建設する。しかし、先住民の抵抗にあい、破壊される。1580年、ボリビアから南下してきたファン・デ・サライによって再建される。スペイン王国のカルロス3世は、殖民の進展、人口の増加、社会経済的発展、ヨーロッパとの交流の増大、又ポルトガル人の進出等の諸事情に対処するため、1776年ペルー副王領の一部であったアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、チリ、ブラジルの一部をリオ・デ・ラ・プラタ副王領に昇格させ、ブエノスアイレスを首都と定め、ヨーロッパとの中継基地として政治的経済的に急速な発展を遂げた。しかし、一方においてスペイン本国の貿易独占に対する不満、スペイン本国人と現地生まれのスペイン人(クリオージョ)との軋轢があり、又他方において、アメリカ合衆国の独立、フランス革命の影響もあって、次第にスペインの統治から離脱しようとする空気が醸成されていった。

      


          アルゼンチン国旗                    アルゼンチン国花(セイボ)

  1808年のナポレオンによるスペイン占領とその後のスペイン本国の政治的混乱をきっかけに1810525日、副王を退位させ、5月革命が成立した。1813年、国旗、国章が制定される。以後各地で旧勢力との解放戦が続けられたが、建国の英雄サン・マルティン将軍の活躍により逐次平定され、181679日、ツクマン市で独立を宣言し、南アメリカ合衆国の名の下に今日のアルゼンチン共和国が誕生した。しかし、中央集権派と連邦主義派の間で対立抗争が続き、名実ともに統一されたアルゼンチン共和国に至るまでには独立後実に60年の歳月を要した。

  その後、ヨーロッパの人口過剰、移民政策によりスペイン、イタリアを中心にヨーロッパから1200万人の移民があり人口の急速な拡大をもたらした。こうした西欧化政策は効果を上げ、二度の世界大戦で物資供給国として利を得るとともに、農牧業を中心に飛躍的な発展を遂げ、20世紀初めには世界屈指の富国に成長した。しかし、これは国の経済を農牧業に依存した脆弱な体質としたこと、外国資本に基幹産業を支配されることにより経済の従属的性格を強めたことなど、負の側面を伴うこととなった。
  その後、軍政と民政が繰り返され、政情は一向に安定せず、国内経済は悪化の一途をたどる。政治経済の混乱と治安の悪化は、国民生活を一層苦慮と不安に追い込むこととなった。官政界の汚職、腐敗、道義の低下等に加え、テロ、ゲリラ活動がますます激化し、あたかも無政府状態を呈するに至った。イギリスとの間に198242日、マリビナス(フォークランド)紛争が勃発し、同年614日、これに敗退した結果、対外的にも対内的にも苦境に追い込まれることとなった。その後、ブラジル、ウルグアイとの経済統合(メルコスール)、市場メカニズム主導型の自由開放政策への移行、大胆な民営化、199141ドル1ペソの固定相場制を導入したこと等から、輸出の低迷、製造業の後退、失業率の増加、公的債務の増加など問題が表面化する。その後、変動相場制へ移行し、一時1ドル4ペソまで下落し、物価はじわじわと上昇し、4000%のインフレを引き起こすまでに至った。失業者も増加し、貧困層が拡大し、国民の半数以上が貧困層という異常事態に至った。現在、キルチネル大統領の下で経済の立て直しを図っているところです。

           

     アルゼンチン政府発行写真           日本大使館にて

 南米のパリと言われるブエノスアイレスはヨーロッパらしくありたいと願うアルゼンチン人が贅を凝らして作り上げたヨーロッパ風の町並みであり、また港の人という意味とお洒落な都会っ子という意味で自らをボルテーニョと呼んでいるが、今やその面影は一部の建造物に残るのみで、当時とは隔世の感があるように思います。奢れるもの久しからずや。今また、アルゼンチンの再建のため微力を捧げる決意を新たにしているところです。

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