エクアドル便り107号

お別れ誕生会

 

 8月26日、特別な日ではないが私の誕生日だ。亡き母の話では、今年の日本の夏のように暑かった昼飯時、卵掛けご飯を食べ、犬ころを生むようにころんと生んでしまったそうだ。因みに戌年である。「色が黒く、目だけぎょろぎょろと大きく、可愛い子ではなかった」と言っていた。おかげで夏になると元気になり、冬は冬眠状態で、卵掛けご飯と納豆が大好物である。

 何時頃から誕生日を祝う習慣が生まれたのか解らない。子供のころ、誕生日を祝ってもらった記憶はない。親の誕生日すら知らなかった。アメリカ占領政策で持ち込まれた習慣であろう。しかし、1歳の誕生日に一升餅を背負わせ無事の成長と、一生喰うに困らず幸せに暮らせるようにとの親の願いを込めた祝いをした思い出はある。「Happy Birthday to You」はアメリカ人のヒル姉妹が作詞作曲した「Good Morning to All」が元になっている。誕生日は祝ってもらうものと思っていたが、自分で催し仲間を呼ぶというのがこちらのスタイルのようだ。

  

      集まった仲間たち                  バースデーケーキ

 事務所のカレンダーに誰が書いたのか知らないが、「TAKAO Cumple 64 Anos (64歳誕生日)」と書き込まれていた。何を企んでいるのか解らないが、先手を打って「我が家で誕生パーティーをやるので、家族連れで来て欲しい」と伝えておいた。ところが男手一つ、料理は大の苦手と来ている。手を掛けない料理を考えた。中華料理と鶏の丸焼きを買い、エビの天ぷらと野菜サラダを作ることにした。飲み物はビールとラム酒、それに炭酸飲料だ。これなら2時間もあれば出来る。

 段取りもうまくなってきた。昼飯を食べながら中華料理を準備してもらい、帰りがけ鶏の蒸焼きを買う。部屋の配置を決め、中華、蒸焼き、飲み物を並べる。塩とレモンとオリーブオイルで味付けするアルゼンチン風簡単サラダを作る。続いて天ぷらだ。大きめのエビを1kg買ってある。小麦粉に塩と味の素、卵を1個入れ簡単海老天だ。ビール片手につまみ喰いしながら、鼻歌交じりで完了である。開始時間は4時、準備は概ね3時半に終わった。

マギーに「準備完了、何時でもオーケー」と電話する。「10分後に行く」と返事があったが、来たのは4時半だった。アルフォンソにカルロス、オルガの家族、それに組合長のパブロも一緒だった。送別会も兼ねている。何時もは手ぶらで来るが、今回は違っていた。「奥様に」と言って、洒落たショルダーバック。「年だから寛ぐために」と言って、椅子型ハンモック。欲しかったやつだ。それに「エクアドルを忘れないように」と、ポンチョをプレゼントされた。それに大きなバースデーケーキだ。なかなかの気配りに感激した。

何時のも「カンパイ」と「クンプレ・アニョス・フェリス(ハッピー・バスデー)」の歌で始まった。やはり海老天は人気だ。中華も鶏の蒸焼きも「美味しい、美味しい」と言って食べてくれた。ラム酒が効き、結構酔った。普段はあまり飲まないマギーもご主人を置いてきた気楽さからか、珍しく酔っていた。最後はバースデーケーキだ。みなのフラッシュを浴び、64歳の誕生日を味わった。還暦の時は、「これからは自分のために生きよう」と誓ったが、気力も体力も知力も落ち加減で特別な感慨はなかった。65歳までに体力に合わせた、新境地を開きたいという希望はある。

マギーが後片付けをしてくれた。やはり主婦だ。よく気が付く。海老天は食べつくしたが、残り物を分け合い7時過ぎ、雲の垂れ込めた肌寒い夜道を帰っていった。アルフォンソとカルロスは1時間かけてグアモテまで帰る。組合長のパブロは2時間かけてアラウシまで帰らねばならない。

日頃、「義理も礼儀も知らない奴らだ」と憤りを感じていたが、義理も礼儀もちゃんとわきまえていた。いいお別れ誕生会になった。残すところ数日だ。十分な成果は納められなかったが、彼らの心に何かは残ったであろう。心のこもった贈り物を携え、いい思い出として帰れそうだ。

 

平成22年8月26日

須郷隆雄