エクアドル便り105号

追悼!メルデセス・ソーサ

 

メルセデス・ソーサの追悼コンサートが、リオバンバの芸術文化センターであった。開演時間は7時だ。しかし何時も通り30分過ぎても始まる気配が無い。観客も心得ているのか集まりが悪い。1時間が過ぎた。漸く会場も満席になってきた。開演を促す拍手で1時間遅れの開演となった。開演時間の7時は何のためなのか、何時もこの開演時間で悩まされる。

ギター、ボンゴ、ベースに女性歌手の4人グループだ。グループ名も歌手名も知らない。ベースのボリュームがやたら高く聞きにくい。途中で音響担当が調整し、何とか聞き取り易くなった。観客は殆どがソーサの歌を知っているようで、歌手に促され合唱する。幕間にソーサの紹介が入る。ソーサの映像も入る。歌手も感極まり、涙声、涙、歌が中断する場面もあった。その度に観客から声援と共感の拍手が起こる。聞き覚えのある曲も何曲かあったが、メルデセス・ソーサのような、力強くたくましい大地のような魂の歌声とは一味違っていた。

  

        ソーサ追悼コンサート               メルセデス・ソーサ

メルセデス・ソーサはアルゼンチン・フォルクローレの女性歌手だ。1935年7月9日、「母を訪ねて3千里」のマルコ少年が母を訪ねて向かった地、ツクマンの貧しい労働者の家庭に生まれた。様々な職を転々とし、30歳頃に歌手として世に出る。1973年、作詞のフェリックス・ルナ、作曲のアリエル・ラミレスと組み「アルヘンティーナの女」を発表し、フォルクローレ史上不朽の名を残すこととなった。歌による社会変革を目指した「新しい歌」運動の第1人者と目され、フランスやスペインへの亡命を余儀なくされた時期もある。日本にも2度来日し、公演を行っている。昨年(2009年)の10月4日、多臓器不全のためブエノスアイレスで74歳の生涯を終えた。南米はもとより、世界中から追悼のメッセージが送られたという。

 フォルクローレというと「コンドルは飛んでいる」や「花祭り」などペルー音楽をイメージするが、国によりかなり異なる。アルゼンチンではギター中心のコルドバ、バイオリンやアコーディオン中心の東部穀倉地帯、ケーナやサンポーニャ、ボンゴ中心のツクマンなどの北部と、それぞれに趣きが違う。移民と文化が影響しているように思われる。エクアドルでも先住民音楽にヨーロッパ音楽が混合し、独自のフォルクローレを形成している。とりわけロマンティックでリズミカルな「パシージョ」はエクアドル音楽を代表するジャンルだと言われる。

メルセデス・ソーサの歌には、「アルフォンシーナと海」「人生よありがとう」「この手に大地を」「歳月」「自由な心」など心を打つ名曲が多い。力強くたくましい歌声は「大地の歌声」「魂の歌声」とも言われ、人々に勇気と希望を与えた。「南米民衆の心の代弁者」と言われる所以である。ソーサのあだ名は「ラテン音楽の母」「南米の母」「フォルクローレの母」であった。「泣きじゃくる子供を抱擁し、安らかに眠りにつかせる世界の母親のようだ」と評した音楽評論家がいたが、母親のような慈愛に富んだ歌手であった。冥福を祈りたい。

「オトゥロ、オトゥロ」のアンコールを要求する声も上がったが、アンコールもなく静かな幕引きとなった。このようなコンサートや舞踏会が度々行われるが、殆ど無料だ。「時間が守られない」「音響が悪い」「装置が不十分」と文句を言っているが、普通なら数千円は取られるところだろう。有難いことである。しかし何時も思うことだが、無料にもかかわらずインディヘナの観客が皆無に近いのが気にかかる。

 

平成22年8月5日

須郷隆雄