ウラ・キャンプ&トッレキング

平成18年11月5日
 
 ウラへ1泊2日のトレッキングに行く。トレッキングというよりキャンプといったほうが好いかもしれない。
 ウラはブムタン県の東の地域だ。ブムタンは4つの地域に分かれている。中心部がチョコル、県都ジャカールのある地域だ。北部がタン、以前農家体験をしたところである。西部がチュメイ、まだ行ったことがない。
 朝、タシ所長とドルジが迎えに来る。当事務所にはドルジが3人いる。マッシュルーム先生で、日本に3年間研修に来ていた日本語ぺらぺらのドルジをビッグ・ドルジと呼ぶ。一番年長だ。もう1人は先日3人目の赤ちゃんが生れたドルジだ。ミドル・ドルジと呼ぶ。さらにもう1人は、以前トンサの山村調査に一緒に行ったジェスチャーの上手なドルジだ。子供は4人いるが一番若いのでリトル・ドルジと呼んでいる。町で食料、飲物を買い込む。2000ニュルタム。気前よく私が払う。準備万端、ミドル・ドルジ宅に迎えに行く。アメリカ人ポールも待っている。このポール、実はブルティッシュ・コロンビア大学の教授である。ミドル・ドルジが留学していた時の先生だそうだ。環境保護の指導をしているようだ。任期は3年で、2ヶ月滞在し2ヶ月帰国するという実に恵まれた条件である。

 いよいよ出発。国道1号を西に向かう。タンに行く砂利道を通り過ぎ、次第にカーブのきつい山道を登って行く。日本の支援で出来たというアンテナのある峠で車を降りる。ジャカールの町並みが見える。その左手にチョコルの町並みも見える。右手の山の向こうはタン。これから行く先はウラ。ブムタン県の分岐点である。さらに登っていく。国道から砂利道に入る。オーストリア道路と呼んでいる。オーストリアの支援で出来た道路だ。美しい農村風景が展開する。今までに見たことのないアルプスを想わせる農村風景だ。3000メートルを越す高地のため、ジャガイモ、麦、蕎麦、それに畜産が中心の村である。米つくりが出来ないため、景観とは裏腹に決して豊かとはいえないようだ。次第に松から杉に植生が変わっていく。サルオガセが杉に絡み付いている。
 水場があり、景色の良さそうな場所を選んでキャンプ地とする。午後2時、早速テントを張る。2人のドルジが良く働く。他にキャンパーは誰もいない。ミドル・ドルジとポールとで山頂にあるラマ寺院を目指して登る。タシとリトル・ドルジは食事の準備である。標高3500メートル、登り始めただけで、ハーハーゼーゼー、心臓は漠々。休み休みの登攀。サルオガセが絡みつき倒木も目立つ。頂上近くの岩場に小さな祠がある。ラマ寺院だ。薄暗く1人の老婆が案内してくれる。聖水をもらい、口に含み、頭にかける。恭しくブータン風の祈りをささげ、山を下りる。尾根伝いに絶景が広がる。登り1時間半、下り30分の行程であつた。

 タシとリトル・ドルジは風除けのテントを張り、キャンプファイアーのような火を燃やし、持ってきた鍋釜食器とガスレンジで夕食の最中である。飯ごう炊飯を予想していたが、ガスボンベ付とは驚いた。圧力鍋で炊いたご飯が日本のご飯のようでとても美味しかった。ブータンの食事は、皿にご飯をてんこ盛りにし、スープととびっきり辛い唐辛子の煮たのをおかずに食べる。何だか昔の日本の食事に似ている。日本の場合は、重箱飯に味噌汁ととびっきり塩辛い梅干であった。冷たい雨がポツリ、ポツリと降り始めたが、焚き火を見ていると何故か子供の頃、焼き芋をしながら火遊びをしたことが思い出され、テントに入る気がしなかった。ビール好きのポールは既に4本目に入っている。私は1本でグロッキーだ。周りは漆黒の闇。遠くの村も明かりはない。時々聞こえるのは犬と野豚の声ぐらいだ。今夜はトイレが近そうだ。

 ダブル・ドルジが用意してくれたテントに1人もぐりこむ。下はマット、寝袋の上に毛布までかける。しかも枕付きだ。農家よりもずっと清潔で快適だ。疲れとビールと高度のためか、酸欠状態である。何度も深呼吸するが息苦しい。しかし睡魔に誘われ、8時に眠りに入る。やけに寒い。尿意と寒さで目を覚ます。外はぼんやりと明るい。防寒着を着込み、テントのロープにけ躓きながら外に出る。雲間から満月が顔を出している。カシオペアも見える。山並みが黒くたたずんでいる。冴え渡った満月の下、シンとした冷気の中で、縮んだおちんちんを引っ張り出し、天を仰いでおしっこをした。ひとつ身震いをしてテントに戻る。寒さのため、それからが眠れない。朝までの長い時間を過ごす。6時、諦めて起き出す。テントは凍り付いている。ダブル・ドルジは既に火をおこし、朝食の準備だ。労を厭わぬ好青年たちだ。紙を用意し、草むらでウンチをする。凍りついた葉っぱがお尻にあたる。身震いしながら用を済ませる。数十年前、山でしたことを思い出す。抵抗感はない。寒くなければ、気持ちのいい一瞬であったかもしれない。

 朝食を済ませ、アルプスの景観に見とれていると、ポールが「富士山の高さは?」と聞く。「3776メートル」と言うと、「富士山の山頂に座っているんだね」と。彼は日本に何度か来たことがあるようだ。5000メートル級の山が、村の向こうに連なっている。
 いよいよテントをたたみ帰宅だ。ダブル・ドルジが良く働く。ポールと私は何もせず、ただ見ているだけ。キャンプ跡地をきれいに片付け、9時に出発。タシの運転、ブータン音楽を聴きながら山道を下る。中国音楽にも似ているが、韓国音楽に似ているような気がした。それにしても彼らは良く働き、遠来の客を大切にするのか、長幼の序をわきまえているのか、頭の下がる想いであった。日本はどうであろうか。礼節は十分であろうか。ものが豊かになった分、心が貧しくなったのではなかろうか。自分を含めて。車に揺られながら考えていた。


                        >戻る