送別の野外パーティー

平成19年7月15日

 事務所の掲示板に送別野外パーティーの通知が貼り出された。ケイザンが責任者のようだ。2日前から準備に取り掛かり、役割分担を支持している。

 ケイザンが予定を伝えに来た。全職員と家族を含め120人ほどが出席するとのこと。場所は川原のピクニックランド。前日午後からテントを張り、泊りがけで準備をするそうだ。当日は8時に来て、朝食から参加して欲しいとのことであった。しかし当日はロッジで朝食をとるので、10時から参加することで了解を得た。

 この野外パーティーは年に1度、恒例のもののようだ。前日はケイザンが朝から事務所の前に立って、分担表に添ってあれこれ支持をしていた。午後はほとんどもぬけの殻状態だ。仕事以上にお祭りが優先される国でもある。

 当日、運転手が何を勘違いしたのか、連絡ミスなのか、7時半と8時半の2回迎えに来る。しかしそれを拒否し、10時に会場に到着。最早全員集合である。酒も入っているようだ。昨夜から作ったという、味は全く違うが甘酒のようなものを振舞われる。しょうがの香りがして結構美味しい。年に1度の振舞い酒のようだ。


 

 子供たちは元気に走り回っているが、大人はただそれぞれのグループに別れ、おしゃべりとお酒である。これといった特別の趣向があるわけではない。何となくもてあまし気味。天気はいい。写真を撮って歩く。100人用の大きな鍋で炊き出しの最中だ。


 

 やがて昼食。酔いの回ったおなかには食事も進まない。おっぱいを出して赤ちゃんに乳をくれている。興味はあるが、こっちのほうが照れくさい。日本はいつからおっぱいを出さなくなったのであろうか。私の子供の頃は、ブータンのこの光景は珍しいものではなかったような気がする。


 

 昼食が終わると例の通り踊りである。そして例の如く誘われるままに踊りの輪に入る。人数が多すぎるためか、何時ものような盛り上がりに欠ける。ワンパターンに慣れて感動が薄れているのかもしてない。


 

 大分虫にも刺された。左手がはれ上がってきた。午後3時、タシの「もう帰ろうか」の言葉で、ロッジに戻る。

 ズキンズキンする頭に、吸いたくもないタバコをくわえてベッドに横になっていた。

 ジャカールも残すところ後3日だ。何か残せただろうかと考えていた。奈落の底に落とされたような静寂、ドマの臭いなのか、ブータン特有の臭い、至るところにある牛の糞、電気はない、風呂はない、トイレは外という農村。ノスタルジックとは程遠いブータンの憂鬱を感じつつも、心優しき仲間たちに支えられて10ヶ月を終えようとしている。日本語ドルジの「それは日本人の見た目でしょう。それでもブータン人は楽しく幸せに暮らしているんです。早くブータン人になりなさい」という言葉が今も心の中に重くのしかかっている。ブータン人の目線、ブータン人の生活の視点からの指導・支援の重要性を教えられた。ボランティアをしたというよりも、ボランティアをされたという気がする。

 ブータンの農村は貧しい。農村開発、村興しの必要性を感じる。しかし先進国を模倣するのではなく、ブータンの伝統文化と豊かな自然との調和のとれた緩やかな開発を進めて欲しい。そして、幸せを国家施策とするGNH(国民総幸福)を推進し、世界の模範となるオンリー・ワンの国を目指して欲しいものだ。

 色も黒くなった。髭も生えた。見かけ上は確かにブータン人である。しかしドルジの言うブータン人になれたかどうかは疑問だ。まだまだお客様の域を抜け出してはいないような気がする。数年したらブータンも遠い存在になってしまうかもしれない。ダショー西岡の情熱に敬意を表したい。