ヒマラヤへのヤクの道

平成19年6月24日

 ジャカールから2時間、車の終点ドゥールに到着。ここからは山道だ。

 馬の到着を待っていると、偶然にも日本人2人と出会う。めったにないことだ。2人は国立科学博物館の平山さんと森さんという。ブータンの植生及び土壌の調査に来ているようだ。


 

 馬4頭、子馬を入れて6頭、それに馬引きがやってくる。準備万端、川沿いの道をゆっくり登り始める。我がチームは、次期国王のご学友ゲムとドクター・ジグミ、畜産局から派遣されたタシとクンザン、それにFAOから派遣されたフランス人マリー・ドルヴィリェの6人である。目的はヤクの調査ということになっている。


 

 石ころとぬかるみの急坂を登っていく。馬の糞の臭いが鼻につく。視界が開けたところで昼食。皆それぞれに昼食を用意していた。日本隊が我々を追い越していく。風が心地よい。登山者の待機所で暖を取り、テントを張る。ヒマラヤの前哨戦、ヒマラヤの気配を感じる。日本人グループも一緒にここに野営。持参したウイスキーとアラを全部飲んでしまう。タシは大酒のみだ。1人で大半を飲んでしまった。タシとクンザンと馬引きは吹きっ晒しの待機所で寝込んでしまう。我々4人はテントの中へ。ブータンでは始めてのテントだ。意外と心地よい。しかし夜2回トイレに起きる。暗黒の中でのおしっこやウンチは、決して快適とはいえない。


 

 川の水で洗顔。冷たい。一気に目が覚める。ゲムとジグミと先行する。ゲムが「あの日本人、美人だね」と。「そうだね」と相槌を打つと「日本にはああいう美人が一杯いるの」と聞いてくる。「いっぱいいるよ」と。ゲムは森さんに心を動かされたようだ。ゲムは男の子ばかり4人いる。長男と四男は難産で、看護婦が無理やり頭を持って引っ張り出したため脳性障害児になったという。しかしいたって陽気で、わけのわからない歌をよく歌っている。我々はシンギング・ゲムと呼んでいる。石楠花の原生林を抜けていく。何処で刺されたのか、手首が腫れ上がってきた。アブの仕業だ。河原にテント。平山・森隊が追い越していく。夜半過ぎ、激しい雨に襲われる。

 朝、トイレに起きる。深い霧だ。山に帰る途中の1頭のヤクの出迎えを受ける。朝食後、もう1頭のヤクがやってくる。雄牛だ。近づいて写真を撮る。ジグミが「アングリー、アングリー」という。私はそれを朝食時だったので「ハングリー、ハングリー」と聞き違え、平気で写真を撮っていた。ヤクが突然、しっぽを逆立て頭を下げて突進してきた。大慌てで逃げ出し、待機所の柱にへたり込んだ。タシが石を投げ、棒で威嚇し、事なきを得たが、ズボンは泥だらけ、足の震えが止まらない。たった数秒のことだったと思うが、家族のこと、友人の顔が頭を巡った。死を意識した瞬間だ。ブータンに来るとき、娘が買ってくれたお守りが救ってくれたのかもしれない。雄ヤクが襲ってきた形相が今も脳裏から離れない。のんびりしたヤクが、襲ってくるとは想像もしていなかった。尻尾を持ち上げたときは要注意である。今までに何度か死を意識した瞬間がある。しかし幸いにもこの年まで生き長らえている。


 

 煙を焚くと太陽が出るという。彼らは火のこと、馬のこと、とにかく自然の習性をよく知っている。馬は険しい山には向かない。馬とロバをかけるとラバが生まれる。ラバ同志では子が出来ないそうだ。ロバやラバは足腰が強く山の搬送用にはもってこいとのことだ。

 黒百合が群生している。ブルー・ポピーが1輪、決して群生しない。孤高の花だ。次第に高木はなくなる。石楠花も岩に這いつくばっている。視界が開け、岩山に霧、裾野には一面の深山霧島の群生。川のせせらぎ、鳥の声。天上のお花畑。仙人峡か、まるで別世界だ。ヒマラヤの山懐に包まれた感じである。

 ヤク農家が点在している。羊が山から帰ってくる。やがてヤクが山から下りてくる。搾乳のためだ。一面、ヤクと羊と糞で溢れかえる。今朝のヤクの襲撃が頭をよぎる。ヤクは毛と肉と乳が利用される。毛は織物として、肉は干し肉として、乳はバターやチーズとして利用されている。羊は、毛以外は利用されない。子供は皆高地のためか、赤いほっぺだ。2ヶ月ごとに気温と草を求め異動するため、家は石と板で囲んだ粗末なもの。床は土間。石を3つ並べての囲炉裏。そこで調理し、そこで寝る。

 腹を壊し、夜中にトイレへ2回。ヤクが寝そべっている。川音だけの漆黒の闇。お尻を拭くのも早々に、テントへ戻る。朝の搾乳を終えると、ヤクは早々に山へ戻っていく。雨が上がる。しかし相変わらずの曇天だ。今日は難関のトレ・ラ越えである。4600m。深山霧島の群生が美しい。所々に孤高の花、ブルー・ポピーが咲いている。切り立った岩壁。ジグザグと20歩登っては休み、10歩登っては立ち止まる。酸素不足を感じる。呼吸が激しくなる。頭痛を覚える。高山病かと気になる。最早雲の中、体はびっしょりである。やっとの思いで、トレ・ラを越える。お花畑の丘陵の先に湖が見える。冬虫夏草の採集地でもあるようだ。足がもつれる。何度も転ぶ。手を借りたり、負ぶさったりで川を渡り、やっとの思いでキャンプ地に到着。雲の中だ。持参のカレーをご馳走する。皆、うまいうまいと大好評である。マリーはお代わりをするほどだ。犬の遠吠え。トイレに起きると、ゲムとジグミが危ないといって、護衛についてくる。


 

 雲、霧、雨の中を下りていく。ヤク牧場を通り抜ける。雄ヤクがまたも尻尾を上げている。番犬が激しく我々を吠え立てる。ヤク農家に到着だ。囲炉裏の火が暖かい。紅茶のもてなしを受ける。回りはヤクの糞だらけ。とてもテントを張れそうにない。今夜はヤク農家泊まりだ。やはり地べたに草を敷いた粗末なもの。石を3つ置いた囲炉裏で料理し、暖を取る。まるで石器時代だ。料理はチーズと唐辛子で味付け。食は進まない。体力維持のため、無理やり腹に押し込む。火を囲んで寝る。その晩不思議なことに、1億円が当たった夢を見た。朝方、「ブー、ブー」という音で目を覚ます。豚がいるのかと思いきや、ヤクの鼻息であった。

 ヤク農家の家族に別れを告げ、山道を下る。岩壁を、体を斜めにしながら下りていく。右手遥か前方に、川が蛇のようにうねっている。ブータン陸軍のキャンプも望める。ランのような花が点々と咲いている。濃い紫。とても綺麗な花だ。ヒマラヤの代表花を上げろといわれたら、この花と黒百合、そしてもちろんブルー・ポピーを上げたい。川沿いにキャンプ。快適な場所だ。

 この馬引き、なかなか人の良さそうな馬引きだ。みんな「メメ」と呼んでいる。以前は軍人だったそうだ。ジグミがチベット仏教の4つの教えを語ってくれた。まずは「人に害を与えない」次に「人に良いことをする」そして「己を鍛える」更に「得たものを人に伝える」なかなか立派な教えだ。ジグミは申年生まれの27歳。うちの息子と同じ歳だ。来年の2月に結婚するという。相手は同窓の獣医さん。しかし無職。今年は年が悪く、来年に延ばしたとのこと。ここでまた日本パーティーに会う。平山さん、森さんにも疲労の影が見える。これから下山とのことであった。その後、モンガルからの帰り、再びチュメイのツェチュでお会いした。不思議な縁を感じた。28日に帰国だそうだ。

 ガンガル・ペンスムを見たくて、再び山道を登る。ガンガル・ペンスムはスリー・シスターズ・マウンテンとも言われる7541m、ブータンの最高峰だ。途中、リスに会う。ヤクや羊ばかり見ていた目にはとても新鮮で、愛らしく感じた。ガンガルから流れ出る渓流を登っていく。山は相変わらずの雲。4000mを越えているとは思えない。しかし呼吸だけは苦しい。マッターホーンのような山裾にヤクが点在している。登れば登るほど雲が深くなる。ご機嫌斜めなのか、3人姉妹は雲隠れのようだ。我々の恋心が伝わらなかった。やむなくベースキャンプに戻る。

 久々に薄日が見える。再び下山。陸軍キャンプを通り抜け、渓流沿いのぬかるみを下って行く。雪解け水と雨季に入った雨で、猛り狂ったような激しい流れだ。最早、避難所はない。洞窟で夕食をとる。やたらに虫が多い。煙を立てて、燻し出しだ。原始生活そのものである。忍耐と諦めが必要だ。

 マリーは27歳、アビヨンの生まれだ。ブータンは最早3年目、今年は帰国とのこと。以前、カナダとチリに行ったことがあるといっていた。両親は離婚し、母親も再婚したので、今は天涯孤独の身だそうだ。帰ったら、大学院に行きたいといっている。体は小さく痩せているが、パワフルでアクティヴで、恐れを知らないおきゃんなフランス女性である。

 下るに従って、次第に青空が広がる。白い雲と深い青のコントラストが素晴らしい。川幅も次第に広がる。重い荷物を背負った若者たちが、足早に通り過ぎていく。川幅の広がった河原で昼食の準備。煙に驚いたミツバチの一斉攻撃を受ける。岸壁にロック・ビーの巣だ。ほうほうの体で逃げ出す。

 タシがきのこを取ってくる。竹やぶからたけのこを取ってくる。川から魚を釣ってくる。なんとも器用な男である。おかげで、きのこ汁に鮎の塩焼きと、豪勢な夕食になった。マリーは洞窟の一夜に挑戦だ。

 暖かい、シャツ1枚でOKだ。川沿いの竹林を下る。また陸軍キャンプだ。通行許可書の提示を求められる。「ここには兵器はあるのか」と聞くと、「ない」という。「中国が攻めてきたらどうするんだ」と聞くと「逃げる」という。戦う意志はないようだ。偵察が主な任務なのかもしれない。民家が見えてきた。漸く人里に着いたようだ。チュコール・テのルート・ポイントにドルジたちが迎えに来ていた。真っ白な入道雲が青空に立ち上がり、ジャカールは最早夏であった。

 ヤクが作ったヒマラヤの道を6人の仲間と6頭の馬、それに馬引きの一行がさまよい歩いた10日間であった。何を得たかは解らない。鉛のような疲れだけが残った。