サンゲイ、国へ帰る

平成19年5月10日

 「サンゲイはどうしたの」と聞くと、「タシヤンツェに帰った。もう戻ってこない。」と言う。突然の帰郷である。4月に入ってから、何度か実家から呼び寄せの電話が入っていた。父親は病弱で、農繁期の今、サンゲイの手が必要だったようだ。妹が高熱で緊急事態とのことで、急遽挨拶もなく帰ってしまった。

 サンゲイの実家はタシガンの北、ブータンの最東部タシヤンツェにある。タシヤンツェは1992年にタシガンから分離して出来た20番目、最後の県だ。木地師の里とも言われ、漆器生産の殆どがここで作られている。

 サンゲイは4人兄弟の長女、15歳になったばかりである。長兄は子供の頃、柿の木から落ちて、運悪く石に頭を打ちつけ亡くなったそうだ。次兄はティンプーで不慮の交通事故で、これまた亡くなったとのこと。母親は妹を生むとまもなく亡くなり、その後父親は再婚した。その相手が私の住むロッジのマスターの奥さんの姉である。その奥さんの母親も同居しているようだ。子供も出来たこともあり、伝を頼って12歳でこのロッジのお手伝いになった。

 

 朝7時に「お早う」と言って紅茶を持ってくる。部屋の掃除、洗濯は子のこの仕事だ。若いのに手が荒れて、像の肌のようにがさがさしている。ハンド・クリームを買ってあげたこともある。また、私の食事も良く作る。必ず「美味しいか」と聞いてくる。「まずい」と言うと悲しい顔をしている。仕事から帰るとまた紅茶を運んでくる。「よく働くね」と言うと必ず「ノー」と言う。決して仕事を厭わない。しかしやることは大雑把で、忘れることも多い。男の子より力持ちだ。山から薪を運び、馬鹿牛の面倒を見ている。何時も明るく、歌を歌いながら私のことを「サル、サル」と呼ぶ。「サルは日本では猿のことだ」と言うとケタケタと笑っている。サルは「サー」の意味のようだ。この国の人は、スペイン語のようにRを発音することが多い。

 15歳になる頃から、町に行くと化粧品や身に付けるものを買うことが多くなった。口紅やマニュキアをすることもある。「綺麗になったね」と言うと照れくさそうにしながらも嬉しそうだ。やはり女の子だ。


 

 サンゲイがいなくなってからは、子供たちの元気がない。やはり寂しいのであろう。サンゲイの存在は大きかったようだ。家族想いのサンゲイ。今頃は家族のために飛び回っていることであろう。まるで「ブータンのおしん」である。いつか楽しい家庭を築き、幸せになって欲しいと願う。東の空にサンゲイに似た真っ白な雲が浮かんでいた。「サル」と呼びかけているようだった。