バナナハウスのシェムガン

平成19年4月3日

 シェムガンは中部ブータンの南部に位置し、北部をアッパー・タン、南部をロウアー・タンという。アッパー・タンは比較的裕福であるが、ロウアー・タンは中部ブータンの中でも最も貧しい地域といわれている。住居は殆どが竹とバナナの葉で作られたバナナハウスであり、バンブーハウスだ。食生活も貧しく、栄養失調の子も多いと聞く。しかも就学率も最も低い地域の一つとされている。そのため農業大臣はじめ多くの政府関係者が訪問し、生活改善に取り組んでいる。ブータン農業の父とも言われているダショー西岡京治もこの地域の農業指導に力を注いできた。


 

 チームリーダーのワンダとリトル・ドリジ、ウゲン、ノルブの4人と共にRNRのパンタン出張所を出発する。それぞれ米、野菜、果樹、林業の担当者である。万全のチーム構成だ。つり橋を渡り、みかん畑とトウモロコシ畑を上っていく。ラムタンの村人が集まっている。似た顔が多い。表情が硬い。女は特に無表情だ。30人ほどの農民と猫1匹。ワンダが私を紹介すると一斉に視線が集まる。冷たい視線だ。言葉はブータン語のゾンカとこの地方の方言タンカである。私にはちんぷんかんぷんだ。それにしても我がスタッフは英語、ゾンカはもちろんネパール語、ヒンズー語さらに各地方の方言と色々な言葉を巧みに話す。彼らの言語能力には感服する。猫が相変わらず特等席でじっと聞いている。メモを取るものはいない。延々と3時間、意見の応酬が続く。時々ワンダが話の内容を説明してくれる。最後に農家の個別調査をして100Nuの金を渡し終了である。「100Nuは何のためだ」と聞くと「日当だ」という。金で釣るわけでもないだろうが、仕事を休ませて参加させた謝礼のようだ。しかし貧しい農民のための報酬の意味合いもあるのだろう。大事そうに懐に入れて帰っていった。


 

その夜、農家に一夜の宿を取る。電気もない、ろうそくもない。あるのはやたら煙の出るランプが1つ。干物の魚と珍しく生の川魚だ。しかし調理方法を心得ていないと見えて、ひどい臭いと骨で、とても食べられる代物ではない。手をつけずにいるとドルジが「これがブータンのGNH(国民総幸福)だ」と言う。確かに幸福とは思えない。しかし幸せとは個人が感じることだ。実体はない。ビッグ・ドルジの「それでもブータン人は幸せに暮らしている」という言葉が頭に浮かんだ。手はつけられなかったが、村人のもてなす心遣いには感謝した。


 

 さらに山を登り、サムチョリン、リマポンで同様の農村集会を開く。同席した小学校の先生が学校を案内してくれた。1学年1クラスで6クラスだけだ。子供たちが農作業をしている。手を振っても写真をとっても余り反応しない。ただじっと見つめているだけだ。山の学校、のどかだ。時折鐘が鳴る。心和む情景だ。校長室で紅茶をご馳走になり帰ると、自家製のアラを持参してくれた。これもブータンのGNHだろうか。その晩はリマポン出張所の家族の接待を受けた。

 最終日、山の頂上にあるリチビに行く。最早、方言ケンカでなければ通じない。集会を抜け出し、近くの農家の乳搾りを見ていた。話しかけてくるが一向に解らない。身振り手まねで話してみる。日本から来たことは解ったようだ。しかし言葉はわからなくても感情は通じ合えるものだ。日本から持ってきた浮世絵のコースターを渡すと、じっと見つめて丁寧にお辞儀をした。

竹内一郎か書いた「人は見た目が9割」という本がある。それによると情報伝達のうち言葉の占める割合は7%だという。顔の表情が55%、感情や態度などその他の要素が38%だそうだ。如何に言葉が頼りないものであるかがわかる。人は見た目で判断できるということだ。いわゆる「バーバル・コミュニケーション(言葉による伝達)」より「ノンバーバル・コミュニケーション(言葉以外の伝達)」の方が、伝達力が高いということのようだ。

 帰りがけ、ウゲンが「日本に帰ったらどうするの」と聞く。「そうだね、することもないし、食って寝るだけかね」と言うと「豚と一緒だね」と。確かにどの家にも豚と鶏がよく飼われている。生活防衛のためと思われるが、豚は一様にだらしなく寝ている。しかし豚は食って寝ているだけだが、いずれ肉となって家族に貢献する。自分は何か役に立つのかなと一抹の不安を覚えた。

 これらの村はオレンジとトウモロコシで生計を維持している。トウモロコシは自給のため、オレンジはインドに輸出するためだ。しかし車道に出るまで2,3日かかる奥深い山の村である。農道を作ればという話もある。農道を作れば便利にはなる。しかしオレンジの生産を高めるほどの立地条件にはない。農道は結局農村の子供を町に送り出す手段になり、農村が崩壊するのではないだろうか。自然も破壊される。農村の維持か開発か、村も揺れている。村を維持しつつ発展する。ベストな答えである。しかし方法は難しい。生産を維持しながら、雇用と現金収入の場を作る。「村おこし」が必要であろう。産業の少ない山国ブータンでは、農村の崩壊は国家の崩壊に繋がる。行き着く先はGNHなのであろうか。また、幸福の定義は難しい。何をもって幸福と言うのか。心の問題とはいえ、経済基盤なくして幸福感を味わえるのであろうか。山を見上げて考えていた。

 




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