秘湯シェムガン温泉

平成19年4月1日

 ブータンそのものが秘境である。そのブータンにある温泉は全て秘湯と言ってもいい。シェムガン温泉は歩いて1日かかる。日本なら、人すら来ない完璧な秘湯である。ブータンには何ヶ所か温泉があるようだ。サルパンのゲレプ温泉は低温ですし詰め状態、とても綺麗とはいえない。お勧めできる代物ではない。日本人に人気があるのが、ガサ温泉である。王室専用の風呂もあるとのことだ。

 パンタンを農村調査4人組と出発し山道を歩くこと4時間、茶屋の看板娘が手を振る。山里には珍しくなかなかの美人である。その誘惑に負けて休憩することにした。昼時でもあり、卵入りインスタントラーメンを注文する。汁が少なくやたらしょっぱい。そのうえ辛い。ブータンではこの手のラーメンが多い。日本のような味わいはない。娘と思ったら子連れであった。看板奥さんと別れ、しばし行くと突然道路工事。自動車道路がここまできている。しかし予算がなく、この先2年間は工事が中断とのことだ。インドマネーが来ないためだ。道路はインドの国防も兼ねてインド支援で造られている場合が多い。日本は農道と橋造りが多いようだ。まるで賽の河原のような石だらけの道を歩く。ブータン桜のボーニアが咲き乱れている。ゆりのようないい香りだ。「温泉は何処だ」と聞くと「向こうの山の川原だ。もうすぐだ」と言う。まだ1日がかりの距離だ。彼らの距離感や時間感覚が時々信じられなくなる。


   

 峠の売店で食料品を買い込む。山国の山男たちである。食料を準備するのも手際がいい。不要なものは売店に預け、川原に向かって降り始める。これ以上きつい坂道は作れないだろうと思える急坂をジグザグと下りていく。膝に来る。歯を食いしばって必死で下りているにもかかわらず、膝は笑っている。標高差600m。筑波山を一直線に降りているような感じだ。川音が聞こえてくる。漸く着いたかという安堵感。吊り橋を渡り到着である。最早夕暮れ。

 足元をお湯が流れる。何故ここに温泉がと不思議である。立派なゲストハウスだ。今までの温泉のイメージとは違う。トイレ付き、しかもダブルベッドまで。ベランダも広い。2階は国王や王妃が泊まる部屋だと聞いてびっくり。政府高官が泊まる部屋だそうだ。早速ドルジとノルブがトイレの水で夕食の支度。インド風カレーとアラの牛乳割りである。なかなか手際がいい。虫除けに線香を点し、ろうそくを立てて準備完了だ。味はまあまあ。

 切り立った崖と山に覆われ、わずかな夜空に上弦の月が谷間の温泉を照らしている。幻想的だ。男5人、パンツ一丁で首にタオルを掛け、先ずは43℃の風呂に入る。適温だ。ここには48℃、50℃、52℃の4種類の温泉がある。しかし、どういう訳かブータンの温泉は硫黄臭がない。しかも透明だ。銭湯に入っている感じだ。足を伸ばし、谷川の音を聞き、月を眺め、仄かなブータン桜を見ながらのくつろぎ。「世は満足じゃ」俳句のひとつもひねりたい気分である。「ブータンや秘境の国の秘湯かな」お粗末な一句。


  

 次は48℃。とても入れたものでない。アイアン・ドルジは首まで漬かって平気な顔。足だけでなく肌まで「鉄の肌」だ。他の仲間も次第に漬かり始める。どうしても足を入れられない。やむなくお尻だけを入れる。これはいける。お尻は鈍感なようだ。次は50℃。ここもお知りは大丈夫。最後に52℃。さすがにお尻も拒否気味。無理やり入れる。我慢我慢で上がった時はおサルのおけつであった。おサルさんもこうして真っ赤なお尻になったのであろう。48℃で4人連れの老人に会っただけで女っけはなし。ブータンでは日本のように、若い娘の秘湯めぐりは人気がなさそうだ。

 ほっかほかした体でダブルベッドへ。しかし寝袋だ。仲間はベランダで蓑虫のように寝袋を並べて寝ている。申し訳ない気もしたが、年の順ということで我慢してもらった。

 暗黒の4時半、ドルジとノルブが起きだし、温泉に入りにいく音で目を覚ました。外に出てみると月は落ち、山間のわずかな空に溢れんばかりの星。吸い込まれそうだ。6時に43℃に行ってみた。ワンダ、ウゲン、ノルブ、ドルジの4人が首だけ出していた。さわやかな風が心地よい。しなびたおっぱいもやって来たので、上がり朝食とすることにした。仕度はドルジとノルブが互いに譲り合い、結局お湯で薄めた牛乳とクッキーで済ますことになった。突然ノルブが「レディー、レディー」と言う。出発の準備が出来たのかと思うと「レディー、レディー、アウトサイド」と言うではないか。最早写真を4枚撮ったと見せる。出てみるとうら若き乙女が3人、なかなかの美形である。暫く女にあってなかったので、柄にもなく興奮したのであろう。何処の国でも男は困った生き物だ。

 秘湯と別れを告げ、標高差600mの壁を登り始める。登っては休み、登っては休みの繰り返し。汗だくである。下りは太ももが痛むが、登りはふくらはぎが痛む。一歩一歩ゆっくりと右左と登る。「急がず焦らず一歩ずつ」人生訓を教えられているようだ。見下ろすとはるか谷底に温泉宿が見える。湯煙はない。

 さらば秘湯シェムガン温泉。いい湯だ。裸の付き合い。水鳥の鳴き声が「コロコロコロコロ」と谷間に木霊していた。






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