愉快な仲間たち〜シェムガン踏破8日間〜

平成19年3月31日

 

 霞たなびく春。かつてトンサ山村調査で同行したワンダとリトル・ドルジと共に、またも農村調査のためシェムガンに向かった。シェムガンの南部、インドに近いロウア・ケンだ。標高は1000m前後であるが、険しい山に覆われ、平地はほとんどない。ブータン中部では近代化の遅れた地域である。

 「霞か雲か」雪はまだ残っているものの浦々とした春の気配のヨトン・ラを越えてトンサに入る。アンドラスの一行に会う。彼はオーストリア人で先週戻ってきたばかりだ。EUから派遣されている彼らは、2ヶ月滞在し4ヶ月帰国するという贅沢な待遇だ。今週戻ってくるアメリカ人のポールも同様の待遇である。欧米の家庭事情を反映しての条件なのかもしれない。

 麦が色づいている。麦秋だ。初夏の雰囲気である。山桜のような花が霞のようにたなびいて、春をも感じさせる。山の頂にシェムガンの町が開ける。シェムガン・ゾンの向うに巨大なブラック・マウンテンが望まれる。ブータン産ウィスキーの名前にもなっている山だ。

 シェムガン支所でウゲンとノルブを拾い、さらに南の山奥へ上り、一夜の宿を取る。ウゲンはシェムガン支所の果樹担当、ノルブはサルパン支所の森林担当である。それにワンダは当センターの稲作、リトル・ドルジは野菜担当だ。


  

 涼しい。清々しい朝だ。これから足だけが頼りの8日間の行進が始まる。シャツ1枚、ゆっくり歩き始める。ドルジが杖を作ってくれる。民家は一様に竹で出来ている。しかも屋根はバナナの葉で葺かれている。極彩色の軒飾りで彩られたブータン建築とは及びもつかない。東南アジアといった造りである。「バンブー・ハウス」とも「バナナ・ハウス」とも言われている。まだ足は快調だ。途中、農家風バナナ・ハウスで鶏の卵を買い、売店風バンブー・ハウスでゆで卵にラーメンで昼食を取る。床下では鶏が「コケコッコー」と時を告げている。全て高床式で、上下左右風通しはいい。大きな桜に似た木に野性のランが自生している。この桜に似た木、「ボーミア」というそうだ。花は桜に比べかなり大きく、花弁の1つが赤く他の4弁はピンクで、ゆりのようないい香りがする。花自体は桜とは似ても似つかないが、遠くに群生している風情は桜そのものだ。「ブータンの桜」と呼ぶことにした。


  

 風が心地よい。額に汗。ひたすら歩く。次第に無口、無表情。修験者のように、修行僧のように、ただひたすら歩く。意識が遠のいていくようだ。悟りの境地とは、このような状況から生まれるのかもしれない。ドルジが「後10分」と言う。ワンダが「後30分」と言う。結局20分で次の宿に着いた。励ましには2つのタイプがあるようだ。どこかの山で「アベベ1時間、うすのろ2時間」という標識を見たことがある。

 早朝、小学校の祈りの合唱で目を覚ます。足が痛くて起き上がれない。歩行2日目にしてこの体たらくだ。仲間がポーターを用意してくれる。足を引きずり、杖を頼りに川沿いの山道を登る。ラフティングに良さそうな川だ。吊り橋を渡りみかん畑とトウモロコシ畑の広がる丘陵地を登っていく。体は痛いが、心地よいみかんの花の香りだ。子供たちがじっと見ている。手を振っても声をかけても一向に反応しない。見知らぬ来客に警戒心を抱いているのか、睨まれているようで決して花の香りのように心地よくはない。町の子とは様子が違う。

  


 最早4日も風呂にも入らずシャワーも浴びず、お尻も前もむず痒くなってきた。夜中に共同炊事場で、パンツ一丁で人目を忍んで洗う。気分爽快、口笛を吹きながら戻ると、途中で犬に吠えられ尻餅。ブータン暮らしも楽ではない。髭も伸びてきた。しかし何処の家にも鏡がない。顔が見えないのが幸運ではある。

 「みかんの花が咲いている。お船はどこへ行くのやら」と鼻歌まじりでみかん畑を下りていく。しかし見えるのは山ばかり。はるか彼方に川が見える程度である。ブータンでは決してこのような歌にはならない。「みかんの花が咲いている。お馬はどこへ行くのやら」といったところであろう。

 川で5人揃って沐浴。ブータン人は人前では決して裸にならない。皆に習ってパンツをはいたまま体を洗う。吊り橋から我々を見ている。気温は高いが谷川の水である。冷たい。身も心も清められた感じだ。ポーターが我々を追い越していく。足は速いが途中でよく休んでいる。「兎と亀」である。しかし結果は兎の勝ちであった。

 夕暮れ売店で久々にビールを飲む。冷蔵庫がないので、何処の店でも生ぬるいビールが出される。美味しくはないが、夕涼みにはやはりビールに限る。子供たちが帰った山間の小学校の校庭に蛍が乱舞している。空には満天の星と上弦の月。そして川のせせらぎ。しばし、蛍の舞に茫然自失であった。

 最早全員、疲労の極に達している。私だけのポーターでは間に合わないようだ。馬2頭、借りることになった。しかし、ドルジだけは元気だ。年も一番若いが、どんなに急な山道でもへこたれない。「鉄の足」である。「アイアン・ドルジ」と呼んでいた。リックを馬に預けたので足が軽い。あっちの木に登ったり、こっちの草を取ってみたり、アイアン・ドルジから「モンキー・ドルジ」に名称変更である。崖の下で休んでいると「猿が石を落とすから危ない」と言う。なんとも冗談のような話だ。日陰で温度計を見ると31℃である。そよ風とブータン桜ボーミアが一時の安らぎ。

 ドルジは何のまじないか知れないが、首に大きな数珠を下げている。しかもカウベルのような、お守りのようなものまで。柴又帝釈天ではないが、ブータンの「フーテンの寅」である。ブータン民謡とも呪文ともつかぬ、訳の解らないメロディーを口ずさんでいる。そこで今度は「修験者ドルジ」と呼ぶことにした。時々「アゥ〜、アゥ」と大声で叫ぶ。猿や野豚などを寄せ付けないためでもあり、仲間とのエールの交換でもあるそうだ。「ドッグ・ドルジ」とでもしようか。面白い奴だ。

 迎えの車が来ない。全て出払って、配車できないとのことである。やむなくタクシーで帰ることにした。8時間、真夏のシェムガンから早春のジャカールに到着するまでほとんど居眠り状態であった。シェムガン踏破8日間、虫に刺され、あせも、水虫にもなり、挙句の果てに痔にもなり、大変な目にあったが愉快な仲間たちとの泣き笑いの8日間であった。代償も大きかったが、貴重な体験であり、またも違ったブータンを知ることが出来た。心優しい愉快な仲間たちに心から「有難う」と申し上げたい。

 



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