冬休み

平成18年12月10日 

 学校は期末試験も終わり、11月26日から冬休みだ。2ヶ月のロングランである。当ロッジの8歳のケンちゃんも休みだ。同じく僧院の小坊主、モンちゃんも休みである。ケンちゃんはケンザから、モンちゃんは坊主モンクから私が付けた名前だ。彼らもこの名前が気に入っているようだ。

 ケンちゃんは冬休みの初日から、母親とお手伝いのサンゲイと3人で東部タシガンへ1週間,巡礼の旅に出た。残されたツェリンとモンちゃんがロッジを守っている。ケンちゃんが帰ると交代でモンちゃんたちが巡礼の旅に出る。これはブータンの習慣だそうだ。既に父親は11月初めから巡礼の旅に出ている。3月まで帰ってこない。なんと5ヶ月である。おかげで私の身の回りや食事など、大変な迷惑をこうむっている。しかしこれもブータンの習慣と諦めている。

 モンちゃんは良く働く。また一時もじっとしていることなくよく遊ぶ。針金で車のようなものを作り、「ウー、ウー」と1日中家の回りを走り回っていることもある。名ドライバーである。リヤカーに大きな旗を立て、これまた1日中引っ張りまわしていることもある。「トントン、トントン」と朝っぱらから音がしているなと思うと、板にペットボトルを潰し打ちつけ、そり作りだ。そうするとまた1日中、山の斜面をそり滑りである。何かに熱中しているとき意外は、何だかわけの分からないお経のような歌を歌っている。この子を見ていると「疲れを知らない子供のように」という小椋桂のメロディーが頭に浮かぶ。「ボカリの火をつけてくれ」というと坊主頭を灰だらけにして,一生懸命火をつける。「洗濯物、お湯、お茶」というたびに、真っ黒な手と真っ黒な足で駆けずり回ってくる。風呂はどうも1週間に1度ぐらいのようだ。また何処にでも寝てしまう。「体は毎日洗いな」といっても、ニコッと笑うだけだ。そのモンちゃん、最近動きが鈍い。私の部屋に衛星テレビが入ったためだ。毎日テレビにかじりついて見ている。8時になると「今日はおしまい」といって追い返すが、しぶしぶ帰っていく。やはり珍しいのだろう。この子、まだ9歳であるが、生れて5日後に母親が亡くなったそうだ。「それを知った時、とても悲しかった」と真面目な顔で写真を見せてくれた。その時母親は29歳であったそうだ。

 通勤山道も、冬休みのため子供たちが多くなってきた。ペニスハウスの女の子が、珍しそうに私を見ている。「クズ・ザンポー」「グッド・モーニング」と声を駆ると「お早うございます」と返ってきた。体育教師の青年ボランティアに教わったのだろう。私が見えなくなるころ、「さようなら」と大きな声で両手を振っていた。道端の子供たちは、私を見ると微笑みかける。挨拶すると子供たちも挨拶する。決して先に挨拶することはない。シャイなのか、礼儀なのかは解らない。

 ケンちゃんが帰ってきた。サンゲイの弟、テンジンも一緒だ。8歳と9歳の子供が3人、賑やかになってきた。テンジンはテンちゃんと呼ぶことにした。3人はなかなか旨くいかないようだ。モンちゃんは一人離れて遊んでいる。何時ものように「ウーウー」とドライバーである。1人で遊ぶことのほうが好きなようだ。モンちゃんは何処へ行ったのか行方不明である。ケンちゃんとテンちゃんを連れて裏山に散歩に出かけた。松林をくぐり抜け、牧場へ。天気は晴天、空は深い青。聞こえるのは松風とチャムカル川のせせらぎ、時折牛の鳴き声。ジャカールの町並みが一望に見渡せる。ぽかぽかと小春日和。浦々とのどかな気分。子供の頃、こんな気分を味わったような気がする。小学校の土手に寝転んで、いつまでも綿雲を眺めていたことがあった。雲に乗ったようなほんわかした気分で、いつの間にか寝込んでしまっていたような気がする。

 この子達の将来には何が待ち受けているのだろうか。無欲な赤子のように心豊かな気持ちで一生を送って欲しいと思う。しかしそうは行かないであろう。欲望という名の列車に乗り込み、天国と地獄の間を七転八倒しながら生きていくのである。それが人間の定めというものだ。そして安らかな気持ちで列車を降りることが出来た時、幸せな人生であったといえるのであろう。
 これからまだまだ冬休みは続く。暫くはこの子達に悩まされそうだ。



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