再びタンへ

平成18年11月25日

 再びタンへ出張することになった。稲作農家の実態調査だ。衝撃の農家宿泊、禿山の一夜が頭の隅をかすめた。その様子を察知してか、泊まらずに往復しても良いとの提案がなされた。ちょっと迷ったが「いや〜、平気だ」と強気の態度を示した。
 日本語ドルジにその話をすると「ブータン人になりなさい」とのことであった。その実、裏にガソリン事情があるようだ。ガソリンは年間配給制で、そろそろ底を突き始めている。往復すれば、その分余計にガソリンが必要になる。これは一大事なのだ。以後の業務に支障をきたすことになるからだ。

 意を決して、出発する。また腸ねん転の石ころ道を登っていく。この道は自動車道路が出来るまでは、東ブータンやチベットに向かう歴史上重要なルートであった。この地域は標高2600m、冷涼地帯であることからジャガイモや麦、そばの栽培が中心である。しかし、比較的平坦で灌漑に適していることから、3年前から稲作が導入された。今や、15農家、11エーカーを耕作し、来年は21農家、16エーカーになる予定だ。米食中心のブータン人にとって米は必需品である。この米が作れるということは農家の生活が潤うことに直結する。重大なことなのだ。先日、農業次官が視察激励に来たのもそのためだ。

 1軒の農家を訪問する。ダチョウの足の骨のようなものがぶら下がっている。「これは何だ」と聞くと豚の足の骨だという。何のまじないか知らないが、妙なものを吊るしておくものだ。可愛い女の子が座っている。8歳ぐらいかと思ったが、18歳だという。難産で出産と同時に母親は亡くなり、それ以後立つことが出来ないのだそうだ。話を聞いて、目がうるうるしてきた。何とかできないものかと財布を握ってしまった。後でJICAにその支援方法を提案してみた。

  

 何処の農家に行っても応対は奥さんだ。ブータンはかかあ天下といわれているが、正にその通りだ。群馬県と一緒だ。ある農家、旦那が1人に女性が5人。一夫多妻とはいえ、4人までが限度と聞いている。1人多い。1人ごまかしているのかと思いきや、近所の奥さんが集まっているとのこと。納得。1人で5人は、いくら多妻が許されていても身が持たないであろう。日本から贈られた耕耘機があった。「From the People of Japan」と日本国旗のステッカーが貼ってあった。

 いよいよ恐怖の農家宿泊である。薄暗い板の間に通される。マットレスが1つ置かれている。そこに座る。私の前に、お膳代わりにいつもの風呂屋の腰掛が置かれる。そこにバター茶、蒸留前のどぶろくのようなものが振舞われる。とても飲めない。しかし無理やり勧める。ありがた迷惑ではあるが、もてなしの作法だ。電気もない、ランプもない、ボカリもない。あるのは1本のろうそくだけだ。部屋がぼんやりと揺らいでいる。寒さが染みとおる。お客が珍しいのか、じっちゃんばっちゃんまでやってくる。ろうそくに映し出されたその顔は、まるで妖怪だ。「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲ〜」と妖怪音頭が聞こえてきそうだ。バターで唐辛子を炒め、チーズをまぶした伝統料理が出される。チーズフライというそうだ。結構いける。しかし、油にチーズが浮いている。さらに牛肉の干したのを細切れにし、これまた油に浮いた状態で出される。コレステロールが2倍になりそうだ。お湯とアラで胃の中を消毒し、食事を終える。後はすることがない。長い時間が待っている。

 ブータンでは常に座る順番が決まっている。要は偉い人順だ。主賓には風呂屋の椅子が出される。その左隣に私の世話役のシェラブ、その隣に普及員、そのまた隣が運転手だ。一般には運転者は食事に同席しない。45歳の普及員の上座に世話役シェラブが座っている。彼は27歳だ。学卒である。ブータンでは日本のように整った大学はない。大概イギリスかアメリカ、オーストラリアの大学を出ている。要はエリートなのだ。この序列を崩すことはない。事務所はイギリス方式で、全てが個室だ。シェラブも個室を持っている。私の部屋は、5人はゆうに入れる広さだ。応接セットも用意されている。出勤するとストーブの火を入れてくれる。電話をすれば、紅茶も食事も持ってきてくれる。タシ所長の部屋には時々メールを借りに行くが、職員は前屈みで入り、後ずさりで出て行く。決して背中を見せない。タシは車付きである。所長クラス以上は多くがドクターだ。私の要請にも修士以上と条件を付けたほどである。徹底した学歴社会であり、階級社会だ。役人の世界は特に激しいようだ。部屋を持たない職員は何処にいるのか、顔もあまり見かけない。封建的というべきか、硬直的というべきか、恐るべきヒエラルキー社会である。

 まだ8時だ。寝袋に包まって寝てしまう。ろうそくを消すと漆黒の闇である。目を開けても閉じても変化はない。深海魚に目のない魚がいるそうだが、理解できる。目が必要ないのだ。朝方トイレに起きる。漆黒の闇だ。懐中電灯をつけると世話役シェラブが慌てて起き上がる。「おしっこだから大丈夫」と言ってもついてくる。隣の部屋のドアを開けてしまう。大丈夫どころではない。前の部屋を開けるとゴミのようなものがもぞもぞ動く。人が寝ている。何処からともなくいびきが聞こえていたが、この御仁だったのだ。ドアお開け外に出ると真っ黒な犬が寝ている。懐中電灯がなければ踏んづけて、咬まれて、今頃は大怪我をしているところだ。ブータンでは真っ黒な犬が多い。保護色なのかもしれない。星は全く見えない。黒いペンキで塗りつぶしたような闇だ。

 翌日、別の農村を訪問し帰る。途中野豚が駆け抜けていった。これもまた真っ黒だ。丸々と太っていた。昨夜は熊の襲来はなかったが、野豚のお出ましだ。ただでは返してくれない。

 農村は遠くから見ると牧歌的で美しいが、家畜との共同生活。決して美しいものではない。外は牛の糞、部屋は板の間、裸足である。風呂はない。トイレは外、肥溜めだ。不衛生極まりないといっても言い過ぎではない。生活改善、衛生改善が急務のような気がする。日本の50年前の農村もこのような状態であったのかもしれない。日本語ドルジにこの話をすると、「日本人の目から見ればそうかもしれないが、ブータン人はあれで結構楽しく暮らしているんだよ」との返事が返ってきた。






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